美智子さま「悠仁の即位と、愛子の結婚が見たい…」 引退後、静かに“想い”を語る



文/編集部

国民に寄り添う平成皇室像

公務の度に天皇のみならず、皇后までも国民の前に現れ、共にお手振りされるようになったのは平成になってからだ。「国民に寄り添う皇室」というイメージはまさに平成皇室の努力の結晶であり、美智子さまのご尽力があって初めて達成されたものだ。

雅子さまが適応障害になられ、祭祀や公務を欠席されるようになると、メディアから「さぼり」「税金泥棒」など厳しい批判を浴びせられた。上皇陛下のご学友・橋下明氏は、『平成皇室論』(朝日新聞出版)を出版し、その中で雅子さまの別居・離婚、さらには皇太子殿下(当時)の引退を薦めた程だ。

しかしこれは平成皇室を基準にした“批判”であり、まとを外した主張も含まれる点を留意する必要がある。昭和天皇の后・香淳皇后は、決して公務に帯同することはなかった。また祭祀は基本的に天皇陛下が執り行うものであり、皇后陛下の参加・不参加は付随的な問題でしかない。幕末まで皇后は祭祀に参加しないことが通例であり、まして批判された当時の雅子さまは東宮妃であるから尚更に全く非はない。評論家で、旧皇族に連なる竹田恒泰氏は、当時の雅子さまバッシングを批判し「休むことも公務である」と主張したことは記憶に新しい。



引退された美智子さまは「何を思うか?」

このよう従来の皇室像を一転させてしまった美智子さま。初の平民出身の皇后ということで、宮中から反対者が相次ぎ、色々と苦労した逸話は有名だ。しかしそれを跳ね除け、時として天皇陛下以上に「脚光」を浴びてしまうほど美智子さまは異質な存在だった。宮内庁を通し、「嘘の報道をやめよ」とメディア報道に釘をさしたのも美智子さまが初めてだった。

そんな活動的だった美智子さまも、皇后を退かれ上皇后となられた。この4月からは皇居から高輪皇族邸に移られ、上皇陛下と共にゆっくりと時間を過ごす毎日だという。

「皇后時代は連日の公務に満身創痍だった美智子さまも、上皇后となられ“自分の時間”をようやく持つことができたようです。古くからの友人などを招き、ささやかなお茶会を開かれています。しかしそれ以上に楽しみにされているのは、眞子さま、佳子さま、悠仁さまといったお孫さま方が顔を見せていらっしゃることです」(上皇職消息筋)

また別の上皇職も、美智子さまの穏やかな表情に安堵の胸をなでおろす。

「美智子さまが上皇后となられてから、雅子さまとの二重権威を懸念するバッシング記事が相次ぎ、血混じりの嘔吐を悩まれました。高輪御用邸への引越しが遅れてしまい、御代替わり後も皇居に住まわれ続けたことが主な原因です。ですが、ようやく引っ越しも完了し、批判の声を潜めました。

美智子さまも安堵されたのでしょうか。この頃は『悠仁の即位がみたい』『愛子の結婚がみたい』というようなことを仰る余裕まで…。引退され、その関心はご自身の身の振りにあるのではなく、お孫さま方の行く末にあるようです」(別の上皇職消息筋)



女性宮家創設と美智子さまの願い

お孫さま方の行く末を案じられる美智子さま。この「行く末」に直接関係する、皇位継承問題の議論が、“立皇嗣の礼”の後に予定されている。安倍政府は、秋篠宮殿下と悠仁さまの皇位継承順位を維持したうえで、女性天皇・女系天皇・女性宮家などについて議論を深める予定だ。

「安倍政権は男系による皇統維持を目指しており、女性天皇・女系天皇の是非については“藪からヘビ”を恐れ議論されない見込みです。ですが皇統の安定化は緊急の課題であり、何もしないというわけにはいきません。おそらく安倍政権と自民党は、女性宮家を創設し、結婚後も内親王に皇室に残っていただく“応急処置”にとどめる、根本的解決を先送りする腹でしょう」(自民党消息筋)

女性宮家が創設されれば、眞子さま佳子さま愛子さまの三内親王は結婚後も皇室に残ることになる。思えば美智子さまは初孫の眞子さまを格別に可愛がり、女性宮家の創設を誰よりも願っていた。引退後の美智子さまの願いは、思い通りに叶いそうだ。

誰よりも輝いた美智子さまは、今もなお輝き続けている。



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