雅子さま「生まれてきてありがとう…」愛子さま「母の日」のプレゼントに一筋の“涙”




文/歩紀柚衣

雅子さまが母となった初めての会見

今日5月10日は『母の日』。母の日は20世紀初頭のアメリカで始まった文化だが、すでに大正4年には日本に到来し、皇室では特に戦後ヴァイニング夫人の影響で認識されるようになったらしい。

現在の皇室で、『母の日』はどのようにいとなまれているのだろうか。今回はある逸話を紐解いて、皇室の「母の日」を考えてみたい。

まず、『母』と言う言葉で多くの人が思い出すのは、平成14年4月2日の愛子さまご誕生に関する雅子さまの会見ではないだろうか。

平成14年(2002年)4月2日に行われた会見は、敬宮さま誕生のあと初めて行われる会見だった。誕生の直後は文書だけだったため、記者皆の胸が躍り、記者クラブ全体が雅子さまの表情に注目していた会見だと言われる。

会見で記者から「率直なお気持ちをお聞かせください」と聞かれた雅子さまがこのように仰ったことは読者の皆様も覚えているだろう。

無事に出産できましたときには,ほっといたしますと同時に,初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て,本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。今でも,その光景は,はっきりと目に焼き付いております。生命の誕生,初めておなかの中に小さな生命が宿って,育まれて,そして時が満ちると持てるだけの力を持って誕生してくる,そして,外の世界での営みを始めるということは,なんて神秘的で素晴らしいことなのかということを実感いたしました

宮内記者会の質問は、すべて事前に質問を提出して、それを読み上げていくいわば「安倍総理形式」だ。それに対して記者クラブからもいろいろ批判があるが、今回ばかりは『質問内容をじっくり皇太子さまと夜中に幼い敬宮さまを抱っこしながら二人で推敲されたのかな?』などと記者クラブの空気も和やかだったらしい。

”生まれたての子供の生きる力というのを目の当たりにいたしまして,子供っていうのは,変な言い方ですけれども,本当に生きるために,そして,親に愛されるべくして生まれてくるんだということを強く感じました。この懐妊の期間,そして出産に至るまで皇太子殿下には,その過程をすべて共有してくださって,近くで私を励まし,支え続けて下さったことに心から感謝を申し上げております”

このように慈悲と愛に包まれた家庭にお生まれになった愛子さまであるが、その前途は多難だった。それは愛子さまが女の子であるがゆえに皇統を継ぐことができないという宿命であった。



母・雅子さまの苦悩

この会見の約1年後、ご存じの通り、2003年6月には当時の宮内庁長官が定例会見で「やはりもう一人は欲しい。多くの国民もそう考えているのではないか」と発言し、時を同じくして雅子さまが療養生活に入られることになったのである。当時を知る宮内庁関係者はこう語る。

「“女の子”というだけで、愛子さまの存在そのものが軽んじられてる、自分のお腹に宿って、男女問わず価値のあるべき子供を産んだのに、その年月がまるで無視されている…そんな思いに当時の雅子さまは傷つかれました。ですが、雅子さまは、”望まれない性”に生まれた愛子さまに対して、何倍もの愛情を注いで育てようと決意されたようです」(宮内庁関係者)

この時の雅子さまの苦しみや悩みの深さは、察するに余り有る。「かつて天皇陛下が雅子さまに対して、『一生全力でお守りします』と告げたように、この時に雅子さまも愛子さまを全力で愛し、そして一生全力で守っていこうと決意されたのかもしれない」と宮内庁関係者は話す。

しかし、そんな想いとは裏腹に、雅子さまはご病気になられ、公務と子育てのバランスに非常に苦しむことになり、特に2010年頃は公務に出られない中で必死に愛子さまの登下校を助けられたことはよく知られている。その時には心ない中傷もあったが、雅子さまの心のうちにあったのは「この子は皇太子殿下からお預かりした子。立派に育てなければならない」「私が病気だからといって、この子まで”弱く”なってはいけない」という気丈な決意だった。

「雅子さまはご病気でしたが、決して『弱かった』わけではありません。むしろご病気の逆風や第二子誕生のプレッシャーの下、愛子さまに深い愛情を注いでいこうと決意された雅子さまは誰よりも『強かった』といえるのではないでしょうか。

マスコミの中傷や宮内庁の無理解は苛酷でした。『親離れ、子離れできていない』などという三流週刊誌の記事には東宮家には放置が基本だった宮内庁もさすがに抗議したくらいです。こうした事態に愛子さまも悲しみ、深く苦しみましたが、雅子さまの『強さ』が愛子さまをずっと守ったのは間違いありません」(宮内庁関係者)

そんな愛子さまと雅子さまの心を繋ぐ上で大きな役割を果たしたのが、手紙のやりとりであったという。



愛子さまからの手紙

「愛子さまは、非常に幼いころから、雅子さまとお手紙で遊ぶのが大好きでした。皇太子さまと雅子さまから教わった平仮名やカタカナを駆使して頑張って画用紙に書き、雅子さまにお送りする。直接は恥ずかしいのでしょうね。いつもきまって女官を経由して雅子さまには届くのでした」(前出の宮内庁関係者)

物心つくようになって『母の日』という存在を知った愛子さまは、ある時、地方公務に行かれる雅子さまにお手紙をしたためたという。

「確か、東日本大震災の年の5月だったと思います。埼玉県の避難所に公務へ向かう朝に、愛子さまから雅子さまにこの時は直接お手紙が渡されたんです。封筒の表紙に『帰りのお車の中で読んでください』と書かれて。この時は、『皇太子ご夫妻の”出遅れ感”』や『被災地訪問より、愛子様の付き添い優先』などと週刊誌から中傷記事が書かれていた頃でした。4月6日の公務以来1カ月ぶりの公務を終えた雅子さまは、『帰りのお車の中で…』のメッセージの通り、埼玉から戻る車の中で封筒からお手紙をそっと取り出し、指でなぞるように、何度も何度も繰り返しお読みになったそうです。

いつも忙しいお母さまへ いつも力になってくださって、ありがとう。私は大丈夫です。

だから、無理なさらないで、お父様と一緒に、頑張って…”

ご病気のさなかに起こった国難ともいうべき大震災。辛い体調を押して出た公務の合間に、愛子さまからのお手紙をお読みになって、人知れず涙をにじませていた雅子さま。ご帰宅されたのちは出迎えに立った愛子さまを『愛子、いつもありがとうね…』と言って、そっと抱きしめたそうですね」(同前)



生まれてきてありがとう…

あれから早9年…この逸話の当時は「皇族としての自覚がない…」などと中傷された愛子さまだが、母親の愛情を最も必要としていた時期に、母親からの愛情をしっかりと受けた愛子さまはお名前の通りに人を愛し愛され、敬いの心を忘れない皇女さま・敬宮愛子にお育ちになった。

冒頭に引用した平成14年の会見で雅子さまは「生まれてきてありがとうという気持ちの胸中は?」という記者の質問にこう仰った。

“胸が一杯になるような,そういった体験かしらと思いますけれども。すみません,母親になって涙もろくなって…(一同笑)”

今年の「母の日」に愛子さまは雅子さまにどのようなお手紙を送るのだろう。雅子さまはまたきっと”一筋の涙”をお流しになるのだろうか。

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8 件のコメント

  • 敬宮愛子様、最高に素敵なお名前で今上陛下と雅子皇后様の深い愛を感じます。
    今上陛下ご一家を拝見するだけで幸せな気持ちになれます。
    ご一家の仲睦まじく、お互いに慈しみ尊重し合うお姿に癒され、かつ、敬愛致します。
    いつも、ありがとうございます。

    • 最高の褒め言葉だと思います。私達国民は素晴らしい両陛下と敬宮様に心から感謝し、幸福な国民で良かったと心から思います。見せ掛けのお手降りなんかは国民は直ぐにわかります。マスコミの心ないちゆうしよになんか、半日だからバッサリ切り捨て、御自分達のお心を大切になさって戴きたいです。心より御尊敬申し上げます。


  • 天皇御一家の動画やニュースを見て国民の1人として素直に微笑ましくなります。
    夫婦愛、家族愛、皇后様の自然体の笑顔溢れる、安心します。もう大丈夫だなと?余り無理せずに公務に励んで下さい。
    それと今上天皇、男だねぇ〜一生守る一言、素晴らしい感動した。

  • 私も日本人に生まれて良かったです最高の天皇陛下と皇后両陛下が居られるから嬉しく思います

  • 私もそう思います、令和天皇と雅子皇后様と愛子様が居られるので幸せです、ご健康にお気をつけて令和が永く続くことをいのります、天皇様が還暦過ぎ激務をこなされているは凄い精神力があるのでしょうね、素晴らしい方です、

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